4月26日_EBC9日目。ラッセルブライス隊表敬訪問_豪太日記

On 2013年4月26日 by dolphins

[行動概要]
ベースキャンプにて散策、ラッセルブライス隊表敬訪問

7:00 起床
8:00 朝食
10:00 ラッセルブライス隊に表敬訪問
12:30 昼食
15:00 旗揚げ
18:00 夕食

・食事
朝食:フレンチトースト、シェルパソーセージ、野菜スープ
昼食:ラーメン、フレンチフライ
夕食:コロッケ、シェルパスープ、お味噌汁、野菜味噌炒め、ごはん

・天気
おおむね晴れ
朝-6℃
昼20℃

今朝はとても爽やかな朝だった。

標高を少しでも下げるととても寝やすい。朝まで熟睡だった。
昨日、ラッセルブライス隊に行けなかったが、今日はみんなで朝から表敬訪問をすることにした。

ラッセルブライス隊は公募隊の中でも大手の登山隊である。1994年からエベレストの北側、南側、チョオユー、ローツェ、ヌプツェ等多くのエクスペディションからトレッキングまで幅広くガイド業を行っている。

ラッセルブライスの隊が一般的に知れ渡っているのは、米国のディスカバリーチャンネルにて、「エベレスト」シリーズがフィーチャーされたことだ。エベレスト登山をテーマにした公募隊の完全ノンフィクションのドキュメンタリーで人気を博した。

公募隊というとお金を積めば登らせてくれるというイメージがあるが、彼の公募隊は一流ガイドやシェルパを雇い、クライアントのために現実的な登山行程を組む。
しっかりとした体制とポリシーがあるため毎年、30~50名のクライアントをエベレストやヒマラヤの超高所へと登山を行い、ほとんど事故がない。

僕たちの今回の登攀リーダーである倉岡さんもラッセルブライス隊のガイドも行ってきた。また、ラッセル自身はニュージーランド出身だが、ヨーロッパのシャモニーのガイドもやっており、僕の祖父、敬三が99歳でバレーブランシュを滑り降りた同時期にシャモニーでたまたま別のガイドを行っていて、その時から三浦家の名前を知っていた。

そんなことからラッセル隊にご招待をいただいた。

ラッセル隊と僕たちのテント場はベースキャンプ村のはじからはじほどの距離がある。そのため歩いて30分以上かかる。
ラッセル隊のベースキャンプに入るとラッセルブライスとツェルマットでガイドしている田村シンジさん、そして石川直樹さんが出迎えてくれた。


≫ラッセル・ブライス(中央)と記念撮影

田村さんは僕たちがスキー撮影でツェルマットに行ったときにお世話になった人で、五十嵐さんとも親交が深い。石川直樹さんは言わずとも知れた冒険家&旅エッセイストだ。

2人とはルクラであった以来で、今回彼らはエベレストの隣のローツェ登山を目的としてきている。
さっそく、ラッセルブライス隊のダイニングテントに招待してもらった。そのダイニングは15人程入るスペースがあった。なかは僕たちの隊同様、カーペットが敷き詰めてありとても温かみがある。支柱には造花が飾ってある。ラッセルの趣味だという。

この規模のダイニングがラッセル隊には2張ある。

彼の今回の隊構成はエベレストを目指すクライアント13名、ローツェが7名、ヌプツェが5名だという。その他にコック、ドクター、ガイド等を含めると総勢52名である。
ラッセル隊の特徴はベースにいるとき、いかにリラックスした環境を作れるかというのを追及している。

ダイニングはもちろん、ホワイトポッドといわれるカーペットが敷かれた巨大なドームには、ソファや32インチのテレビ、バーカウンターがあり、炭酸飲料からアルコールまで飲み放題だ。


≫ラッセル隊の娯楽テント=ホワイトポッド

トイレは個室トイレで水洗、シャワーはボイラーまでついていて、いつでも暖かいお湯が出てくる。
キッチンに案内してもらうと、隊のコックを紹介してもらった。彼の名前はボブ・スローンといってイギリス人。なんと以前スコットランドのホテルでコックを務めていたときに、エリザベス女王に食事のフルコースをふるまったことがあるという。ちなみにその時のコースは鳩のソテーと鹿肉だったという。

キッチンは僕たちが遠征で見慣れた石積ではなくホテルの厨房を思わせられる。
さらに倉庫に案内してもらうと、棚の上に綺麗に食材やお菓子が並んでいる、まるでスーパーマーケットだ! 大城先生はしまいには「ここの倉庫の管理人をしたい」と言っていた。


≫その姿はスーパーのような食糧倉庫だ!!

何もかも桁外れのベースキャンプに僕たち一同はただただ恐れおののくばかりであった。
しかし、その中でも我々のベースキャンプが秀でていることがいくつかあった。それは個人テントの大きさと日本食が僕たちの方が多いということだ。
他人の庭はよく見えるのだろう。

プリングルスとコーラ、そして多分イギリス製であろう美味しいクッキーをたらふくいただいて、ラッセルブライスのベースキャンプを後にした。
午後はこれまでの日記や頼まれていたコラムを書いたりしていた。そういえば、隊の旗がちょっと寂しいので20個以上ある旗をチョラテンの頂点からつなげて、広げてみた。するとぐっと我々のベースキャンプらしさが出てきた。


≫日本からの応援旗やスポンサーフラッグを飾るとMIURA隊らしくなった

その後、何気なく、自分の奥さんと息子の誕生日を思い出し、ネットを繋げて、アマゾンで誕生日プレゼントや花屋さんからお花を届ける手配をしていると、すぐに妻から返信が来た。

なんと陣痛が始まったというのだ!!!

出産の予定日は4月22日だった。それを過ぎても赤ちゃんがまだ上の方にいるらしいと聞いていたので、すっかり油断していた。
これは大変だ!!!

と騒ぎ立てたところで、ヒマラヤにいる自分には何もできない。安産祈願をプジャの前でするのと同じように(?!)、ディンボチェにいるときにセミヌードでとった写真をメールで送る。これで少しでも緊張が和らげば。。。

日本では姉がてんやわんやで対応している。とりあえず日赤病院での安産を願うばかりだ。
そんなことを考えていると眠れやしない。
とりあえず、倉岡さんとミトロ君が明日C2に偵察に行くために夜中3に出発するという。僕もその時間に起きて電話をすることにした。