5月23日(前半)_EBC31日目 遂に80歳で頂上へ! _豪太日記

On 2013年5月23日 by dolphins

 

[行動概要]
C5(8500m)→山頂(8848m)→C4(8000m)

12:00 起床
12:30 軽食
2:00 出発
6:55 南峰
8:00 ヒラリーステップ
9:00 山頂
9:50 下山開始
19:20 C4到着

・食事
出発前軽食:赤飯、お味噌汁

・天気
午前 無風快晴
山頂 マイナス20度、風速10m
午後、吹雪

 

 

昨日はあまり眠れなかった。4人一緒のテントというのはいくら8500mとはいえ暑い。

寒いよりはよっぽどいいが、結局、これからのアタックの興奮と身動きのできない暑さのため、12時にシェルパが起こしてくれるのが待ち遠しかった。

起きて最初にしたのは大便である。
酸素なしで外に行き、しゃがみ用を足して帰ってくるのはどんな作業よりもつらくて苦しくて死にそうになる
でも、排せつができているというのはこれまでの栄養状態がいいということだ。

小さなテントの中で各々の準備を始めた。
外は無風快晴、絶好のアタック日和だ!!!

準備をしている最中にも多くのヘッドランプがテントを照らして過ぎていく。
彼らはC4のサウスコルからアタックかけている人たちであり、僕達の目算ではもっと遅くにここを通り過ぎるはずである
僕達は標高にして500mのアドバンテージがあるはずだ。

登頂時刻を考えると12時に起きて、1時30分程度に出発すれば、集団の前に出るはずだが、彼らはもっと早くC4を出発したのだろう。
結局僕達が出発した2時00分にはほとんどの隊が前にいて僕達は一番後ろだった。
それでもそれがよかった。僕達の隊はカメ戦法でゆっくりと確実に上がる。その中で後ろからせかされたらたまったもんじゃない。

外は以外に暖かい。薄いインナー手袋とノースフェースのウィンドストッパーを兼ねた5本指の手袋で十分に対応できる。
先頭は倉岡さん、次にお父さん、僕、そしてシェルパ頭のギャルツェンと連なり、
その後ろを酸素の予備を背負ったシェルパ達が続く。平出君が縦横無尽にカメラを持って駆け巡る。

点々と続くヘッドライトのライン、最初は月明かりがはっきりと足元を照らすが、
月もそのうち低くなり最期には遠くの低い雲の中にかげる。

ると空に宝石箱を散りばめたように星たちの輝きを見ることができる。
目の前のヘッドライト達も僕達を待ってられないというがごとく、どんどん先に進む。
南峰かどこなのかこのライト達が先に行って知らせてくれるだろう。
昨日のウェザーニュースとのやり取りでは、夜から朝方にかけてもっとも風が吹くだろうというが、今のところその兆候がない。
朝4時、うっすらとチベットの水平線が赤くなってきたと思ったら、急な冷え込みと風が吹き始めたので、手袋の上にミトンをかけた。

お父さんの心拍数は思ったよりも安定している。
しかし、昨日降った雪のせいで足元が不安定で、急斜面と段差に苦労しているようだ。
スピードは出ないがゆっくりと確実に進んでいる

しばらくすると、ロープになにかが引っかかっているのが見えた。
それが人の遺体だと認識するのにちょっと時間がかかった。逆さに倒れているのだ。
ロープは遺体に固定されており、ユマールをかけるのにその遺体に直接触らなければいけない。
「いやだな」と思いながら思い直し、何の宗教かわからないのでアーメンやら、ナンマイダやら南無阿弥陀仏、アラーを念じながら通ろうとする。
するとお父さんのユマールと安全クリップがこともあろうかその遺体の横に引っかかって動けなくなっているではないか。

お父さんのユマールの掛替は通常、前にいる倉岡さんがやってくれるのだが、
さすがの倉岡さんも焦ったのか、遺体にかかっているロープを巻き込んで安全クリップをユマールに着けている。
これではいくらたってもほどけるはずがない。僕は「よりによってこんなところで」
と思いながら、お父さんの近くに行って遺体を抱え込むように安全クリップを外し元のポジションに戻した。

遺体を見返し、ここまでくればもう何も怖くないと思ったが、なんでこの方はここで力尽きたのだろうと思った。
それほど昔のご遺体には見えない、せいぜい2~3日であろう。宗教に疎いながらも念仏を唱えながらそこを通り過ぎる。

夜もあけて、すっかり明るくなると、以外に南峰が近いのがわかった。
南峰は8700mにあるもう一つのエベレストの頂上である。
そこから一度下がって、今度は難所のヒラリーステップなのだが、ここまでくればひと息つける。
南峰では多くの人に出会った。

特にヒマラヤンエクスプレス(ラッセルブライス隊)とは交流が多く、彼らの登頂日もこの日に合わせていた。
倉岡さんの親友である、田村さんにも頂上付近であう。
先日、わがエベレストベースキャンプを訪ねてくれた、中国人のワンウェインさんとそのお友達、
そして後から知ったことだが、パタゴニアブラザーズのダミアンにも会った。

ダミアンは
「南峰は雪が多いから、南峰の手前で酸素交換したほうがいいよ」とアドバイスをくれた。
彼らはすでに山頂を踏み、帰るところである。登頂の祝福とお互いの安全を祈ってみんなとすれ違う。

今回、もっとも難題だったのがヒラリーステップの攻略である。

ヒラリーステップはわずか5~6mでありながらオーバーハングしており、クライミングの技術と体力が試されるところである。
僕は倉岡さんとこの攻略について話あい、一つの秘密兵器を用意した、それは滑車である。
滑車とビレーをうまく利用して、お父さんのクライミングをアシストすることにした。

ロープはそのあたりにある昔のロープを切ってお父さんにフィギュアエイトで結ぶ。
お父さんが登った分は紐で固定されるのでそれ以上落ちることがない。
20分~30分ほどかけやっとこことでヒラリーステップを上がる。
さらにそこから30分、ゆっくりとエベレスト最後のビクトリーロードを歩く。
ここからはよっぽど高度障害で足がふらついたり前に出ない限り山頂へは難しいところはない。
セイコーの時計を見る。8:30分。十分に時間がある。
ゆっくりと確かに、山頂への道を歩く。
9:00ちょうど。父は80歳という世界最高齢にてエベレストの山頂に立った!

無風快晴、頂上にはたくさんの旗がたなびいている。僕が10年前に来た時にはこんなに旗がなかった。
山頂には中国側のルートから来たグループがいた。彼らも登頂の喜びの余韻に浸っているのだろう。
僕達もやらなければいけないことを行うことにした

山頂に来た時のシミュレーションは何度もしていた。
まずはお父さんと二人でベースキャンプに報告、その後日本に電話。
お父さんの第一声を平出君に記録してもらう。
その後、いくつかあるバナー撮影、シェルパ達との集合写真、メンバーの集合写真。

そして、今回もっとも重要なのが、お父さんがマスクを外した状態で、
山頂に立っているとわかる写真を撮影することである。
これは父が80歳というエベレスト最高齢で登頂したというゆるぎない事実を記録として残すためだ。

僕はマスクを少しだけ顔から離すようお願いしたが、父はすべての写真撮りでマスクを完全に外してしまった。
この高度でマスクを外して行動するのは危険極まりない。
写真撮影の合間に、マスクを口に近づけて酸素を吸わせる。

最後は平出君が頂上からの景色とマスクを外した父の映像を撮影した。

これだけで50分ほど費やしてしまった。
この高度だと、滞在が長引けば長引くだけリスクが高まる。
兄からUstream をやってくれというリクエストがあったが、Iphone を見てみると冷えすぎて起動しない。
さっさとあきらめて下山に取り掛かることにした。
—5月23日(後半)に続く—