プロジェクト

プロジェクトについて

希望の軌跡

2013年5月、三浦雄一郎は80歳で次男・豪太と共に3度目のエベレスト登頂を目指します。
70歳(03年)と75歳(08年)、過去に70歳代で2度エベレスト登頂を成し遂げたのは登山史上、三浦雄一郎ただ一人、そのニュースは日本のみならず世界を駆け巡りました。

2008年、75歳での登頂後、三浦は次ぎなる目標を80歳での中国側からのエベレスト登頂としました。 しかし翌09年スキー場での事故で骨盤と左大腿骨の付け根を骨折する大怪我を負い、彼の年齢(当時76歳)での完全復帰はほぼありえないと思われました。ところがエベレストへ向けた強い意志と山への憧れが驚異的な回復力をもたらし、半年後にはトレーニングを再開したのです。

最初のエベレスト山頂を目指した60代のときは検査項目が全て危険信号だったメタボリックシンドロームで標高500メートルの近所の山でさえも登れない状態 ― それから5年を費やしてのトレーニングを経て、当時の最高年齢70歳で山頂を極め、さらに75歳の挑戦では極度の不整脈で、2度の心臓手術を行い登頂するも、直前の8000メートル地点で次男の豪太が高所性脳浮腫となり緊急下山し命を取り留めました。70歳、75歳、80歳・・・ それぞれの挑戦は己の年齢だけではなく、メタボリック、心房細動(不整脈)、 そして骨盤骨折という大きな肉体的ハードルを越え、堅剛なるチームワークにて行うものです。

過去2回、70歳代での三浦の挑戦は「究極のアンチエイジング」と言われてきました。8848メートル、準宇宙といわれる超高所は肉体年齢が70歳近く加齢され、生身の人間が到達できる 地球の限界です。

80歳の三浦の肉体年齢は150歳・・・
何故、もう一度、高き頂きを目指すのか・・・
三浦雄一郎のエベレストへ向けての想いはシンプルです、

それは己の限界への問いかけであり、大自然へ対する畏敬の念と誇り。
人類の可能性を1ミリでもあげたい ― 強い志しが可能性の扉を開くことを信じて。
80歳の限界が地球最高地点のエベレスト山頂であればこれほど素晴らしいことはない。

奇跡の星、地球に刻む 希望の軌跡
Trace of Hope engraved on our precious Planet

諦めない一歩を照らすのは 希望の光、
いつか道は高く遠い夢へと続いていきます

再び高き山頂を目指して

三浦雄一郎は1964年にスキーのスピード記録を競うイタリアのキロメータランセに日本人として初参加、世界記録の樹立、そして1970年に人類の誰もが想像しなかったエベレスト8000メートル地点からのパラシュートを使用したスキー直滑降(記録映画はアカデミー賞受賞)をはじめ、世界初の七大陸最高峰のスキー滑降達成など、登山&スキーの世界で数々の記録を打ち立ててきました。 60代になり、年と ともに体力・気力の衰えを感じたとき、当時100歳を迎えようとしても雪山への熱い思いを抱きスキーを 続ける父・敬三(享年101歳)、そしてオリンピックで活躍していた息子・豪太に刺激を受け、再び心の スィッチが入り新たな夢と生きがいを求めてのスタートとなりました。

1970年37歳でのエベレスト大滑降後、三浦雄一郎が書き留めた言葉

「…本当に生きていることを確かめたかった。腕で雪をたたきヘルメットをかぶった頭を2度、3度氷にぶつけ、再び人間というものに戻った自分を確かめた。そして自分というものが、とても懐かしかった…まだ本当のわれわれが夢に見たエベレストはこれからである。さらに自分自身をよく見つめ、濁った下界の空気やその他すべて、それに染まってしまいそうなわが魂や心を情けなく思いまがらも、やはり、ひとつの終わりが新しい何かの始まりでなければならないとするなら、今度こそ心や魂によく磨きをかけ真実なるもの、永遠なるものがくっきりと浮かんでいる、あのヒマラヤの透明な空気のようにあらねばならない…。
さて、その心のエベレストとは何であったのか。私をあの死の世界からつれもどして、人の世に人間としてもどしてくれたものの意志は何であったか。私は新しい人生の巡礼者として、それを探し求めるために、“残り”の人生をはるかなるものに向けて歩みつづけねばなるまい」

そして80歳になる三浦雄一郎のエベレスト遠征は若き日の想いを胸に秘め、
母なる大地の女神<チョモランマ>への巡礼の旅でもあります。

「私たち親子の高所と登攀過程における生理データが 人類の可能性を広げ、高齢化社会における抗加齢の指針となること、そしてエベレスト山頂へむけて刻む 一歩づつが、今、私たちが必要としている自然との共生と明日への「希望」へと 繋がることを願います」ーー三浦雄一郎

アンチエイジング・プログラム

エベレスト山頂、標高8848メートルでは酸素濃度が平地の3分の1となり、人間の有酸素能力が標高とともに低下する値を体力年齢に置き換えた場合、80歳の三浦雄一郎の体力年齢は150歳となります。(登山運動生理学、鹿屋体育大学、山本正嘉教授)。この推定年齢は世界最高齢の122歳で長寿を全うしたフランスのジャンヌ・カルマンさんの実年齢をはるかに超えた状態で登山活動をすることであり、数字のうえでは100歳の若返り(アンチエイジング)を目指さなければ、8000メートル峰の超高所での活動は難しく、さらに三浦雄一郎は高齢での骨折からのリカバリー、心房細動・不整脈と向き合っての挑戦となります。

自らがトップアスリートであり米国・ユタ大学でスポーツ生理学を専攻し、順天堂大学院で加齢制御医学(アンチエイジング)の博士号を今年取得した三浦豪太が、鹿屋体育大学、順天堂大学、広島大学をはじめ各ドクターチームと連携して、三浦雄一郎の体力向上、健康研究モニターを行います。

以下が現在続けられている主な研究内容です;

低酸素環境下における遺伝子発現について

「低酸素下における遺伝子発現」の研究は順天堂大学加齢制御医学、白澤卓二教授と共に08年 ミウラチョモランマプロジェクトと同時に始まった研究です。三浦雄一郎を含めたエベレストに向かう4名の8000メートル峰登頂経験被験者と高所経験のない被験者が低酸素室に入る前後で白血球の遺伝子がどう変化するかというものでした。

この中で三浦豪太らが注目したのがHO-1(ヘムオキゲナーゼ)という赤血球を分解して、血管拡張や 抗酸化作用を促す酵素です。

HO-1は高所において、高所特有の酸化作用から生体を守る抗酸化作用がある事、酸素をより取り 込みやすいように血管拡張作用がある事等、重要な役割を担っています。これが高所登山家には通常の人の6倍以上も含まれていました。これにより、ヘムオキゲナーゼが高所では生体を防御するのではないかと推測され、論文 [Heme Oxygenase-1 is constitutively up-regulated in top alpinist」として、2011年、米国の科学雑誌BBRCに掲載されました。

2013年に向けて新たに注目しているのが、細胞の核の中にある染色体の末端部分の「テロメア」と呼ばれているDNAの配列です。細胞は分裂を起こす際に、細胞の核の中にある染色体が螺旋構造をほどいて2つに分かれ遺伝子情報のコピーを行います。しかし、染色体の末端部分だけ、どうしてもコピーしきれない箇所が生じます。テロメアはその末端にて同じDNAコードが繰り返し続けられることによって、染色体の末端部分を保護すると考えられています。しかし細胞分裂を繰り返すと少しずつ短くなり、完全に無くなると、細胞分裂をやめ、細胞老化を起こし機能を停止いたします。そのためテロメアは寿命の重要なバイオ マーカーであり細胞の回数券と呼ばれています。

現在、三浦豪太の研究グループはテロメアと高所の関係に注目して、80歳の三浦雄一郎や豪太本人のエベレストに登る過程でテロメアの変化をモニターし、高所、酸素と老化の関係を調べます。

なぜ長寿村といわれている村が世界では1000m~2000mの標高に存在するのか、なぜ高度順化には個人差があるのか、また人により加齢速度がなぜこれほどまで違うのか。

そして、三浦雄一郎がエベレストの頂上を人類史上最高齢である80歳で目指すことが如何なる意義があるのか、この最先端の研究にてアンチエイジングのヒントを探っていきます。

スケジュール

 

■ MIURA エベレスト 2013 プロジェクト これまでの全体スケジュール

2008年 5月26日  75歳と227日にて2度目のエベレスト登頂
2009年 2月    札幌テイネスキー場にて事故、骨盤と大腿骨付根を4箇所骨折。全治6か月と診断される。

2011年 9月~   メディカルチェック、体力測定、屋久島トレーニング
11月        ヒマラヤ メラピーク(6400㍍)遠征登頂
※高所テスト、スキートレーニング

2012年 1月~   国内にてスキー&低酸素室トレーニング
4月~       カナダ ヘリスキーツアー
5月~       ヒマラヤ・トレッキング
7月~       国内にてトレーニング(羊蹄山、剱岳&低酸素室)
10月12日     <MIURA EVEREST 2013 プロジェクト記者会見&三浦雄一郎 80 歳記念イベント>
10月17~11月6日 ヒマラヤ ロブジェ東峰(6119㍍)遠征
※ 高所順化、用具点検、体調チェック、登攀トレーニング、三浦雄一郎、不整脈発作のため、途中帰国
11月14日     三浦雄一郎、3度目の不整脈手術
12月~      国内にてスキー&低酸素室トレーニング

2013年1月15日 三浦雄一郎、4度目の不整脈手術
3月22日     MIURA EVEREST 2013 出発記者会見&レセプション
3月23日     MIURA EVEREST 2013 先発隊出発
3月28日     MIURA EVEREST 2013 後発隊(三浦雄一郎・豪太)出発
4月~6月初旬  MIURAエベレスト2013プロジェクト 本番
※山頂アタックは5月中旬予定

2013年遠征本番について
(2013年3月下旬~6月上旬)

当初予定しておりましたチベット側からのルートですが、現在の国際情勢では3月下旬まで登山許可がでるかどうか未だ不明確な状況であります。ルート選定について必要とされる装備、人材、ベースキャンプ設営場所、タクティクス、予算などを早々に確定する必要がある為、今回のエベレスト登攀ルートを前回と同じネパール側に決定いたしました。
また、三浦雄一郎の80歳の登攀を可能にする為に前回より途中、第3キャンプの上に別途臨時の#2第3キャンプを設営し、ベースキャンプより上の高所キャンプを合計6といたします。
日本出発は3月下旬、登頂アタックは天候次第ですが5月中旬前後の予定です。

ポカルデ順化~エベレスト 遠征スケジュール

5月19日(日)〜6月4日(火)予備日

3月23日

先発隊日本出発

3月28日

後発隊(三浦雄一郎・豪太)日本出発

3月29日

羽田/バンコク/カトマンズ(1320m)

3月30日

カトマンズ

3月31日

カトマンズ/ルクラ(2840m)/パグディン(2610m)

4月1日

パグディン/モンジョ(2850m)

4月2日

モンジョ/ナムチェ(3440m)

4月3日

ナムチェ

4月4日

ナムチェ

4月5日

ナムチェ/ギャンツマ(3600m)

4月6日

ギャンツマ/デゥチェ(3705m)

4月7日

デゥチェ/ショマレ(4070m)

4月8日

ショマレ/ディンボチェ(4300m)

4月9日

ディンボチェ

4月10日

ディンボチェ

4月11日

ディンボチェ/ランボー・カルカ(4800m)

4月12日

ランボー・カルカ/ディンボチェ(4300m)

4月13日

ディンボチェ/ツクラ(4620m

4月14日

ツクラ/ロブチェ(4940m)

4月15日

ロブチェ/ゴラクシェプ(5180m)

4月16日

ゴラクシェプ/エベレストBC(5350m)

4月17日

エベレストBC

4月18日

エベレストBC

4月19日

エベレストBC

4月20日

エベレストBC

4月21日

エベレストBC

4月22日

エベレストBC

4月23日

エベレストBC/プモリC1(5750m)

4月24日

プモリC1

4月25日

プモリC1/エベレストBC(5350m)

4月26日

エベレストBC

4月27日

エベレストBC

4月28日

エベレストBC

4月29日

エベレストBC

4月30日

エベレストBC

5月1日

エベレストBC

5月2日

エベレストBC

5月3日

エベレストBC

5月4日

エベレストBC

5月5日

エベレストBC

5月6日

エベレストBC

5月7日

エベレストBC

5月8日

エベレストBC/プモリC1(5900m)

5月9日

プモリC1

5月10日

プモリC1/エベレストBC(5350m)

5月11日

エベレストBC

5月12日

エベレストBC

5月13日

エベレストBC

5月14日

エベレストBC

5月15日

エベレストBC

5月16日

登頂開始:エベレストBC/C1(6050m)

5月17日

C1/C2(6500m)

5月18日

C2(6500m)

5月19日

C2/C3(7000m)

5月20日

C3/C3′(7530m)

5月21日

C3′/C4(7980m)

5月22日

C4/C5(8500m)

5月23日

C5/頂上(8848m)

頂上/C4(7980m)

5月24日

C4/C2(6500m)

5月25日

C2(6500m)

5月26日

C2/BC/ルクラ/カトマンズ(1320m)

ルートマップ


※三浦雄一郎の80 歳という年齢を考慮し、今回新たにC3キャンプの上に追加でC3’を設置いたします。03年、08年同様にC5も設置、よって上部キャンプは計6か所とし、通常のノーマルルートのキャンプ数より二つ多くなっております。
下図は行程を基にした標高の推移になります。

遠征隊メンバーリスト

●アタック隊(登頂)メンバー (年齢は2013年3月現在)
三浦雄一郎(80歳) 遠征隊・隊長
三浦豪太(43歳) 遠征隊・副隊長 生理モニター、医療&通信 担当
倉岡裕之 (51歳) 登攀リーダー  ロジスティックス、写真 担当
平出和也  (33歳) カメラマン、映像記録 担当

●アタック隊サポートメンバー

五十嵐和哉 遠征隊マネージャー 記録、食糧、会計、装備 担当
三戸呂拓也 登攀サポート 記録、食糧、装備 担当

●ベースキャンプ・サポートメンバー
三浦雄大 通信・気象 コミュニケーション 担当
大城和恵(DR) チームドクター  医療 担当
貫田宗男 遠征ロジスティックス、現地リレーション 担当

●ネパールからの現地サポートメンバー(18名)
クライミング・シェルパ 13 名 <>はエベレスト登頂数
(1)サーダー: ペンバ・ギャルゼン(44歳<10回>)、08年三浦隊、(2)オンジェ・シエルパ(30歳<3回>)08 三浦隊、(3)ニマ・ヌルブ・シェルパ(30歳<10回>)、08 三浦隊、(4)カミシンゲ・シンバ・タング(35歳<2回>)、(5)ベア・カジェ・タング(35歳<2回>)、(6)サンゲ・シエルパ(34歳<1回>)、(7)ペンバ・ヌル・シェルパ(39歳<6回>)、(8)チィリング・ワングチュ・シエルパ(31歳<4回>)、(9)ニマ・カンチャ・シェルパ(38歳<3回>)、08三浦隊、(10)ミングマ・ヌル・シェルパ(28歳<2回>)、(11)ダヌル・シェルパ(40 歳<1回>)、(12)ペマ・チリ・シェルパ(26歳)、(13)アング・カジ・シェルパ(31歳)

コック&キッチン 5名
(14)アング・ラクパ・シェルパ、(15)クリシュナ・タマング、(16)ダワ・シェルパ、(17)デンディ・シェルパ、(18)ギャン・バハダール・シェルパ

主なメンバー プロフィール
Member profile

三浦雄一郎

みうら・ゆういちろう 遠征隊隊長
80歳 1932年青森市生まれ

’64年スキーのスピード競技であるイタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、当時の世界記録樹立。’66年、富士山直滑降。’70年エベレスト・8000 ㍍世界最高地点スキー滑降を成し遂げ、その記録映画はアカデミー賞を受賞。’85年世界七大陸最高峰のスキー滑降を人類初、完全達成。2003 年5月、次男の豪太とともにエベレスト(8848㍍)登頂。当時の世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立。’08年75歳にして2度目のエベレスト登頂を果たす。アドベンチャー・スキーヤーとしてだけではなく、全国に1 万人以上の生徒がいる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長でもある。記録映画、写真集、著書多数

三浦豪太

みうら・ごうた 遠征隊副隊長
43歳 1969年鎌倉市生まれ

家族とともにアフリカ、キリマンジャロを最年少(11歳)登頂。’91年よりフリースタイルスキー、モーグル競技を始め、以来10年にわたって全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。リレハンメル(’94)、長野(’98)冬季五輪代表選手として日本モーグル界のリーダー的存在となる。
米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業後、父、三浦雄一郎のエベレスト遠征をサポートし、エベレストを含む8000㍍峰3 座に登頂。(チョーオユー、シシャパンマ)。ミウラ・ドルフィンズ低酸素室トレーニングシステム開発研究所長、低酸素下においての遺伝子発現・抑制の研究(専攻・加齢制御医学 アンチエイジング)を行い、また子供から高齢者までの幅広い年齢層やアスリート向けのトレーニング及びアウトドアプログラムを国内外で数多く手がけている。
医学博士(順天堂大学大学院医学部・加齢制御講座)、同大学 非常勤助教授、(社)アンチエイジングリーダー養成機構・専務理事、〔財〕全日本スキー連盟指導員

倉岡裕之

くらおか・ひろゆき 登攀リーダー
51歳 1961年東京都生まれ

14歳より登山を始める。1983年ガウリシャンカール西壁イエティー同人隊員としてヒマラヤデビュー。1984年ベネズエラエンジェルの滝世界初登攀(テレビ東京)。1985 年映画「植村直巳物語」山岳スタッフとしてアラスカへ。マッキンリー南壁アメリカンダイレクトルート、アルパインスタイル第三登。1996年より8000m峰ガイドを開始。2004年より世界的に有名なHimalayan Experience の登頂ガイドとしてエベレスト、チョーオユー、マナスルをガイド。2007年当時エベレスト世界最高齢登頂者となる柳沢勝輔氏を北面より案内(DISCOVERY CHANNEL)。
2012年までのエベレストガイド登頂は5回(北側2回、南側3回)。日本人初の世界7大陸最高峰のガイディング。その他南米、インド、パキスタン、中央アジアの高峰のガイディング。極地ではグリーンランド最高峰、東シベリア最高峰などに登頂(ガイド)。
ミウラドルフィンズ制作のグレッグスタンプフィルム「SIBERIA」のエクスペディションコーディネーターとして参加。アマゾン、オリノコ、ニューギニアなどのジャングル物も得意とする。
日本山岳ガイド協会登攀ガイド

平出和也

ひらいで・かずや 映像記録 担当
33歳 1979年長野県生まれ

石井スポーツグループ所属。東海大学山岳部で登山を学ぶ。2001年からヒマラヤ登山を開始し、現在まで20回の海外遠征を行う。2008年クライミングパートナーの谷口けいとカメット(7756m)南東壁初登攀に成功。その功績を称えられ仏「ピオレドール(金のピッケル)賞」を日本人として初受賞。
近年、山岳カメラマンとして活動を開始する。2011年にはエベレストに登頂し、山岳カメラマンとして8000m峰5 座・7000m峰6 座での撮影経験を積む。


五十嵐和哉

いがらし・かずや 遠征隊マネージャー 記録、食糧、会計、装備 担当
53歳 1959年福島県生まれ

’79年から三浦雄一郎の元でフリースタイルスキーを始め’83年全日本選手権モーグルで優勝。その後W杯に参戦。’89年からは全日本チームのコーチに就任し、数々の選手を輩出した。
エベレストをはじめ、多くの三浦雄一郎遠征に同行するとともに、大人のスキーツアー、スキー教室、スノースポーツ全般と夏のアウトドアスポーツ、キャンプなどのプロジェクトを30年にわたり手がけている。

大城和恵

おおしろ・かずえ チームドクター
45歳 1967年長野県生まれ

医学生の時から北アルプスに通う。大学病院勤務を経て、02年札幌へ移転。心臓血管センター北海道大野病院に勤務。’10年登山者外来を開設。同年、英国にて国際山岳医UK Diploma inMountain Medicine(UIAA (国際山岳連盟)/ICAR (国際山岳救助協議会)/ISMM(国際登山医学会) 認定)日本人初の資格を取得。
’11年より全国初の取り組みである北海道警察山岳遭難救助アドバイザリー医師として救急現場への医療導入を実現。「山岳医療情報」 www.sangakui.jp を発信し国際基準を公開、日本山岳協会医科学委員、日本登山医学会山岳ファーストエイド委員長・同学会認定山岳医実行委員兼講師兼判定委員に就任。
山岳活動における安全と実践的医療の普及に取り組んでいる。

貫田 宗男

ぬきた むねお 遠征ロジスティックス、現地リレーション 担当
62歳 1951年山口県生まれ。

株式会社ウェック・トレック 顧問
ヨーロッパ、北米等多数登攀。79年、ネパール・ダウラギリ5峰(7,618㍍)登頂。91年春、94年秋と2度に渡りのエベレスト登頂に成功。現在はフリークライミング特訓中。イッテQ!登山部顧問。著書「二人のチョモランマ」山と溪谷社