5月12日_EBC20日目 インタビューと食事準備_豪太日記

On 2013年5月12日 by dolphins

[行動概要]
ベースキャンプ(5300m) 取材対応、高所食の準備など

7:00 起床
8:00 朝食
9:30 HRAにお礼にいく
10:15 アルジャジーラの取材を受ける
11:10 散歩
12:30 昼食
13:30 高所食の準備
15:00 お茶
15:30 高所食の準備
18:00 夕食

・食事
朝食:ごはん、納豆、芋
昼食:味噌煮込みうどん、ちらし寿司
夕食:すき焼き

・天気
朝晴れ、やや風強い 午後 晴れ

 

ベースキャンプというのは不思議なところで、何もないような一日でも何かが発生する。

今朝は先日、うちのシェルパが盲腸になった際、お世話になったHRA(ヒマラヤンレスキューアソシエーション)にあいさつしに行こうと、
大城先生、五十嵐さん、平出君と一緒に向かった。
HRAはこの大きなエベレストベースキャンプ村でも比較的近くにある。

丘をこえるとすぐそこの距離だが、歩いているとまず最初にシェルチャンに出会った。
シェルチャンは、前回父がエベレストに登った時、76歳であったということで、現在エベレストの最高齢記録を持っているご老人である。
シェルチャンのことをご老人というと、うちの父親の年齢もそう違わないのであるが、
今日見たシェルチャンはいかにもご老人であった。

耳には補聴器をつけ、歩みは定点カメラで観測しないと動いていると認識できないほど遅い。
僕がシェルチャンだと気付いて自己紹介しながら話かけると、握手を求めながら挨拶を交わした。
シェルチャンは呼吸するたびに「ヒューヒュー」と音がする。
まるで喘息をもっているか、前回僕がかかった高所性肺水腫にでもかかっているようだ。

大城先生が心配になり
「いつでも診てあげますから、ぜひ診察させてください」
というと
「ありがとう」
といって僕達と反対方向に歩みを進めていった。

シェルチャンは今回、父が挑戦するということで急遽エベレスト登山を決めたという。
5月になってルクラに入り、ベースキャンプへとやってきている。
地元のメディアは三浦雄一郎対シェルチャンという、最高齢挑戦記録の構図を面白がって作っている。

 

しかし、今日のシェルチャンの様子を見ると、
エベレストのベースキャンプにいること自体、彼の健康にとってとてもよくないような気がする。

もともと、ネパールは戸籍がつい最近まで存在しなかった。
そのためシェルチャンの正確な年齢などわかるはずもない。
先日もある記者がシェルチャンの年齢を尋ねると、82歳だと言ったそうだ。
5年前にエベレストに登った時が76歳だったから、
彼に81歳ではないかと尋ねると、戸惑いながら、自分の年齢を数え間違えていて、実は今年82歳だったと弁明したという…。
これではどんなネパール人でも最高齢記録をつくれるではないか。

しかも彼をスポンサーしているのは、エベレスト登山の許認可を発行し、登頂証明書を出すネパール政府の観光省だという。
これでは記録を作る人と記録を認定してハンコを押す人が同じだ。そういう仕組みで、そもそも記録になるのだろうか…?

ギネスもギネスで、よくこれで前回のシェルチャンの最高齢記録を認めたものだ。
そのうえ、前回の登頂の際に、彼は約束したお金を登山隊にまだ払っていないという理由で、登頂写真は一般に披露されていない。
是非、厳正なる審査をしてほしいものだ。

 

そんなことをシェルチャンと別れてから数分熟考していると、目の前にラッセル・ブライスが歩いてきた。
「父にインタビューをしたい報道カメラマンがいるので、君たちのベースキャンプに向かう途中だ」
と教えてくれた。
カメラを担いでいる二人に挨拶をすませ、僕達もHRAにお礼を言ったらすぐに帰ると言って別れた。

HRAにつくと、スコットランド出身の若いお医者さん、スーザンがHRAから少し離れたテントからでてきて手をこちらに振った。
大城先生とあいさつを済ませ、ミンマシェルパの御礼を伝える。

今朝、貫田さんが聞いた情報では、ミンマはカトマンズの病院にて無事に手術が成功したという。その話しを聞いたスーザンは自分のことのように喜んだ。
僕は初めてHRAの診察室に入るが、とてもきれいで医療用のベッドが二つある。

僕は彼女に、これまでどれくらいの患者がここにきているか尋ねると、だいたい300~350人ほどでその6割くらいがシェルパだという。
ここに来る理由は様々で、簡単な打ち身から、高山病の症状、また今回のような盲腸のケースもあるという。
その中でどれくらいレスキューヘリを呼ぶことになったのか聞いてみると、今回のミンマの盲腸のケースを入れて7件しかないという
僕達がベースキャンプに入ってもうそろそろ1か月になる。その間、毎日ヘリコプターはぶんぶんと僕達の頭上を飛んでいた。

 

これまでヘリコプターは全部レスキューだと思って、大きな音を我慢していたが、そのほとんどは観光客か物資輸送だというのだ!!
以前EOA(エクスペディション・オペレーターズ・アソシエーション)の取決めでは極力、
レスキュー以外のヘリコプター出動はしないということが決まっていたと思ったのだが、突然、ヘリコプターの音が騒音に聞こえてきた。
今度近くを通ったら石投げてやろうか、とちょっと腹がたった。

 

≫機能よく整理されているHRA(ヒマラヤ救難病棟)とドクターのスーザン

 

HRAを出てベースキャンプに帰ると、先ほどすれ違ったカメラマンとインタビュワーがセッティングをしていた。
兄がそれらのアレンジを行い、ダイニングテントにラッセル・ブライスが来ていた。

先日、シェルパ達が頂上までルート工作を終えたことに対して、ラッセルにお祝いの言葉を述べた。
するとラッセルはあの日、頂上に立ったのはルート工作をしていたシェルパだけではなく、彼のクライエントの一人も登頂したのだという。
それは素晴らしいということで、そのこともお祝いした。

 

今回ラッセルから紹介をいただいたメディアの二人はなんとアルジャジーラからの報道だという。
アルジャジーラというと中東の報道機関でいつもテロリストの犯行声明などを取り上げているから、おドロドロしいイメージしかなかったが、
その実、カタール発の中東最大の報道機関であり、欧米のCNN、BBCなどと協力体制を持っている立派な報道機関である、と説明を受け、
早坂氏と共にそのイメージを払しょくした。

実際、インタビュワーと話すと彼も以前BYUにいたという。
BYUはユタ州にあるユタ大学に並ぶ大学である。僕はユタ大学出身で、BYUとはフットボールのライバルだったのでよく知っている。
とても気さくで、彼は純粋に父が80歳でエベレストを目指していることに興味とリスペクトしていることがわかり、質問の内容もとても好感の持てるものだった。
取材は1時間ほど続いた。これで、中東の国の人に三浦雄一郎という人物が紹介され、日本はこうした高齢でもエベレストをチャレンジできる素晴らしい国なのだよ、ということがわかれば、
少しでも日本がテロの標的になることが少なくなるのではないか…とそんな壮大なスケールで物事を考える機会を得た。

 


≫この取材が世界平和に繋がればうれしい…

 

本当は今朝、父と一緒にトレーニングのためにアイスフォール散歩に行こうとしていたのだが、
このように日本の平和に貢献していたため午前中はわずかな時間しか残されなかった。

それでもアイスフォールの中を30分ほど歩くことができたが、ベースキャンプに帰るとまたまたお客さんが来ていた。

先日、このベースキャンプの前でクランプオンを外している時に偶然声をかけたイギリスの南極、北極探検家のマークウッドさんだった。
彼は、そのあと父や僕のことを調べて驚いたという。そして、こんな提案を持ってきた。

いつも北極や南極に冒険に出かけるとき、彼はスカイプを通じて世界中の学校とつながるという。
そして彼の行っている冒険、環境のことなどをリアルタイムでそれぞれの学校に放映している。
今回のエベレストもその企画のうちの一つだそうだ。

 

また来年にはイギリスの特殊部隊SASの元隊員二人を連れて、カナダから北極まで犬ぞりや徒歩で移動するそうだ。
近年温暖化が進み、北極の氷が解け始めている。
もしかしたら、これが人類で北極を渡る最期の旅となるかもしれないと言っている。

この様子を、スカイプを通して日本を含めた世界中の学校に発信するというのだが、北極にはどうしても衛星を捕まえられない場所があり、それが数か月続くというのだ。

衛生が途絶える間、彼の知っている冒険家、探検家、登山家らの冒険の様子を配信してはどうだろうと考えているらしい。
そして、僕や父の様子も配信したいというのだ。
とても面白そうなはなしであるが、まだ会ったばかりであるし、エベレスト登山が終わったあとにもう少し詳しく取組の内容を教えて下さい。といって彼との面会は終わった。

 

そんなこんなで、昼食の時間がだいぶんずれ込んだ。

ベースキャンプの外を見ていると、三戸呂君が歩いてくるではないか。
彼は、最初の高所順化後、体調を崩してしまい、僕達が高所順化をプモリで行っている間、ディンボチェにいって休養をとっていた。
その休養が終わり、登りなおしてきたのだ。ミンマがヘリコプターで降りた時に途中で降りてルクラで虫歯を直してきたディンディも一緒に戻ってきた。

前回の登頂の際に、高所食をどれぐらい上のキャンプに置いてきたかなどをメモに取っていたのが三戸呂君なので、
彼のメモがあれば、高所食の準備ができる。
今回のエベレスト登山で最後に準備するのがこの高所食である。
キャンプ1からキャンプ5までの食料計画と、実際に持ち上げる食料を午後いっぱいかけて用意した。
これでエベレスト登山全体の計画は終わった、ほっとした。

≫高所食 準備の様子