4月25日_プモリからEBCへ。ベースキャンプは春のよそおい_豪太日記

On 2013年4月25日 by dolphins

[行動概要]
プモリC1→エベレストベースキャンプ (5300㍍)

5:30 起床
6:00 モーニングバード 生出演収録 開始
7:20 朝食
9:00 プモリC1→エベレストベースキャンプ下山開始
12:30 エベレストベースキャンプ到着
12:45 昼食
14:30 ヘンリートッド 酸素交換
16:00 酸素最終確認
18:00 夕食
20:00 就寝

・食事
朝食:おかゆ、八丁味噌汁
昼食:お蕎麦、野菜天ぷら
夕食:豚生姜焼き、カレー、ごはん

・天気
午前~夕方まで晴れ、夕方やや曇り
朝-10.5℃
昼テント内40℃

プモリC1で迎える朝は格別だ。

テントを開けると目の前にはエベレストがある。
ここでは朝日が太陽の対面にあるため、エベレストベースキャンプよりも1時間ほど早く陽が差しこむ。

今朝はテレビ朝日のモーニングバード生放送のため、みんな早起きした。そのとき太陽はエベレストの真裏にあり、その光はいまにも飛び出したくてうずうずしているようだ。強烈な光がローラ(峠)のあいだから溢れだし、空に光のコントラストを投影していた。
モーニングバードとの生放送は、こちらからの映像をスカイプにて生中継で映しだそうと、兄が一生懸命日本サイドの放送スタッフと交信している。


≫エベレストの稜線を朝日が駆け登る

兄(雄大)のPCはHughes製の衛星アンテナを使いInmarSatを捕まえている。しかし転送スピードがなかなか追いつかず、映像はこちらのエベレストと父の状況を途切れとぎれに映し出している。

本番の6:00になろうとするとき、いきなり太陽がエベレストの裏側から飛び出してきた。エベレストを見るとその激しい逆光に山のシルエットしか見えない。当然、父を映し出しているはずのPCには白いバックグランドと父のまっ黒な姿しか映し出されなかった。

なるべく、父の顔を照らそうとヘッドライトで対応しようとするが、焼け石に水程度の効果しかない。
映像もとぎれとぎれから途中から完全に通信が途絶えたようだ。結局、お父さんの生番組はその電話での会話のみで行われた。

その後、日本の姉に電話したところ、最初の方はしっかりと映っていたという。それにしても、発電機も電話線もない、ヒマラヤの山の中腹から家電製品で生中継ができるとはすごい時代である。しかし、その分求められることも多く、仕事量は増えるのだが。。。


≫モーニングバードに生電話中です。

今日はその後、プモリC1を撤収、エベレストベースキャンプに下りる予定だ。
撤収の作業を終え、再びプモリC1を見渡す。改めてすごいところで2日間も過ごしたのだなと思う。これほどエベレストが大きく見え、クーンブの谷間を見渡せるところはないのではないか。


≫エベレストとともに!?

僕と父を含むエベレストにアタックする4名は今回の遠征では、この後、ここに来ることはないが、兄や早坂さんは僕たちがエベレストアタックしている本番中、ここに拠点を構えるかもしれない。

僕らは僕たちのベースキャンプに帰る前に、ラッセル・ブライスのベースキャンプに寄る予定だった。ラッセル・ブライスのベースキャンプには一度行ったことがあるが、巨大なホワイトポッドと呼ばれる娯楽施設があり、その中にはバーがある。

キッチンやコックも充実している、何よりも炭酸飲料が飲み放題だ。
兄、大城先生、早坂さんはもっぱらそこで食べられるポテトチップを楽しみにしていて、どうやってラッセルに
「ポテトチップが食べたい」
という意思表示をするかという話を下りながらくだらない話をしていた。

しかし、プモリからベースキャンプに続くメインロードに合流する寸前、ラッセル・ブライスと彼が率いるガイドやお客さんたちとすれ違う。
彼らもプモリC1まで日帰りで高度順化だという。

それではいま行ってもラッセルはいないので、そのまま我々のベースキャンプに戻ろうという事になった。
一同がっくし。
ベースキャンプ周辺は2日間いないだけで様変わりしていた。

氷が解け、メインロードと我々のベースキャンプを挟む川が轟々と流れている。至るところから氷河が解けだし、春の兆しを感じられる。
テントの周りも上部のテントと下部のテントの間の段差が大きくなっていて地形が変わっていた。これから刻一刻とベースキャンプやその周辺は春を迎えて変化していくのだろう。

お昼のお蕎麦を食べてから、プモリC1に行く前に点検した再充填の酸素を販売元であるヘンリートッドに交換してもらいに行くことにした。
倉岡さんとシェルパ2人を従え、3Lボトル6本と、4Lボトル7本を担いでヘンリーのところに向かう。

ヘンリーは多くの登山隊の酸素ボトルとマスク・レギュレーターを扱っている。行くとそこには150本以上の酸素ボトルがあり、快く交換に応じてくれた。
彼はこの道20年。酸素の詳しい扱い方を丁寧に教えてくれた。

ヘンリーのところから交換したボトルをさらにベースキャンプにて点検し、それに番号を付けた。そして再充填のボトルすべての圧力を表にして、低い順にベースキャンプにて使うものから、高い順に高所で使うものに分けた。

そして数をタクティックスに合わせて、サーダーのギャルツェンに引き渡す。
彼は今後荷揚げの際にこれをもとに上部キャンプにシェルパが運ぶことになる。
エベレスト登山において、多くの事がシェルパに頼ることになるが、酸素と基本的な戦略の管理は登山隊がきっちりと主導権を持って行わなければいけない。
特に酸素は命にかかわるのできっちりとせねば。


≫酸素ボンベの管理はきっちりと行う

神経を使う仕事と、二日間の高度順化の疲れが夕食の後にどっと来た。
夜はこれまでにないぐらいぐっすりと眠れた。