3月28日&29日_出発_豪太日記

On 2013年3月29日 by dolphins

今日からいよいよエベレスト登山に向けて出発だ。
あわただしくフライトは3月29日0時30分の深夜便。18時ころに羽田空港に到着して、姉の親友の計らいにより羽田国際線ターミナル内にある焼肉屋「チャンピオン」にてたらふく食事をすることができた。

空港には僕たちの家族や友人に加え、父が校長を務めるクラーク高校の生徒たち大勢が集まり、出発前に父にエベレスト登頂に向けてエールをもらった。
先発隊はすでに23日に出発しており、僕らは本隊として、今日、三浦雄一郎、兄の雄大、大城先生、産経新聞の木村さんと早坂さん、そして僕の6人の出発だ。
日本からのフライトは全日空バンコクを経由してカトマンズに行く。バンコク着したのは朝の4時30分。ラウンジに入り、眠い目をこすりながら日本から残してきた仕事を片付ける。他のメンバーは思い思いに寝たりパソコンをしたりしていた。
そこから、タイ航空に乗継、ネパール首都のカトマンズに到着した。

カトマンズ空港では先発していた、五十嵐さん、平出君、そしてエージェントのラムさん、プラビンさんが迎えに来てくれた。到着するなり、すぐに父はカトマンズNHKの取材を受け、そしてこれがすぐに日本の夜のニュースになったという。
カトマンズ到着後、僕たちは在ネパール日本大使館に挨拶することにしていた。今回、父が80歳エベレスト登頂の申請をしたとき、ネパールの観光局は父の高齢とする年齢を理由に、高齢の登山許可を下すのに判断を決めかねていた。この時、在ネパール日本大使である高橋邦夫氏すぐに推薦文をお願いし、許可が下りた。
そのお礼を伝える為の訪問でもあった。

ところが、空港から日本大使館に行く道のり、デモが発生していて主要な道路が閉鎖されていた。民主主義として歩み始めたネパールだが、100以上の部族がいるこの国ですべての利害を一致させることができずいる。そのためなにかといつもどこかの政党や部族がデモを行っている始末だ。

僕たちを乗せたバスは裏通りに入ろうとしたが、そこはバス一台がぎりぎり通れるスペースしかなかった。そのため同じように裏道を通ろうとしていた車やオートバイがつっかえ、わずか100mの路地で立ち往生してしまった。ここの国では譲り合いという言葉はほとんど見当たらない。そのため少し動いてもそこにオートバイや車が割って入ってきて状況を悪くしてしまう。この道で今晩過ごすのかと考えていたが、意外に30分ほどで抜けることができた。


写真:高橋大使&三浦雄一郎

予定の時間よりも少し遅れて着いたが、高橋大使は快く迎え入れてくれた。高橋大使と会うのはこれで2度目だ。最初は日本にて就任式でご挨拶をしたことがある。とても温和そうで紳士的な大使である。
高橋郁夫大使は温和そうであるが、実際すごく骨ある外交官でもあれらる。興味のある人はウィキペディアに調べられるといい。

大使からネパールの現状を聴いた。
ネパールは先月より内閣が解散して現在は内閣不在の状態が続いているという。新しい暫定内閣が4月中旬より発足される予定だが、この時に政治的にも治安的にも不安定になるだろうという話だった。
いずれにしろ登山中なので問題はないだろうということである。
大使と登山終了後再開の約束をして大使館を後にした。

その後、僕たちはネパール観光局にエベレスト登山許可のためのブリーフィングを聞きに行った。これは隊長または隊の代表が聞くことになるが、主に登山に伴う危険、そして環境に配慮した登山を行う趣旨を説明してもらうが、あまりの早口とスライドの切り替わりの速さに驚いた。どうやら形式上の意味合いが強いようだ。
そして、こうしたレギュレーションを監督するリエゾンオフィサーを紹介してもらった。名前はナレンドラさんといって経験のあるリエゾンオフィサーだという。
ホテルに到着すると、先発隊ですでに現地入りをしている倉岡さん、貫田さん、ミトロ君が迎えに来てくれた

夕食はみんなで韓国料理の焼き肉を食べた。出発前も焼き肉、到着しても焼き肉。焼き肉に始まったエベレスト登山である。