5月22日_EBC30日目 余裕を与えてくれた「お茶会」_豪太日記

On 2013年5月22日 by dolphins

[行動概要]

C4(8000m)→C5(8500m)

5:30 起床
6:30 朝食
8:40 出発
14:20 C5到着
16:00 夕食
18:00 就寝

・食事
朝食:赤飯、お味噌汁、お茶立て
夕食:手巻き寿司、お茶立て
・天気
早朝晴れ、行動中嵐
今日はいよいよ最後のキャンプC5に向けて出発だ。

その前に以前、福寿園のお茶を京都の福井さんからもらい、
竹岡さんから預かった本格的お茶セットと国宝物のお椀で出発前にお茶をたてることにした。

この発案者は三浦雄一郎。

生きるだけでも大変なサウスコルでわざわざよけいなものを持っていかなくてもと最初は思ったが、
みんなノリがよくその作戦を決行することにした

お茶を濾し、シェルパにお湯を作ってもらいテルモスに入れ、
漆塗りの国宝モノのお椀に福寿園の高級抹茶を入れる。
お湯をテルモスから注ぎ、最初は父がお茶をたて、僕に振舞う。

僕はお茶のことなどまったく知らないが、こうした所作を一つ一つ気を付けながら飲むと何とも落ち着く。
そこがC4の8000mであるということを全く忘れてしまった。

そして今度は僕がお茶をたて、倉岡さん平出さんに振舞う。
デスゾーンとも呼ばれるサウスコルに突然日本のお茶室の異空間が現れ、
みんな、何とも不思議な気持ちになった。

これはこれまでただ単に生きるだけのための水つくりではなく、
余裕を作るためのお茶会となり、
その雰囲気がもたらす効果は単なるお茶のリラクセーション効果をはるかに超えるものとなった。

あまりにもその空間が居心地がよく、いつまでもお茶を飲んでいるものだから、
シェルパ達がテントの中にのぞきに来て、「もうそろそろ、テントをたたみたいのだけど」という目でにらまれ…。

 

そんな余裕のある朝を迎えたわが三浦隊はそこから準備をはじめ、C5に向けて出発した

 

ウェザーニュースによれば、22日と24日は午後に湿気が入り込み、天気が崩れやすくなるという。

僕達はお茶会の後に出発したので9時ちょっと前にスタートとなった。
この分だと途中から曇るだろうなと予想される。

C4からC5は実は僕にとってトラウマのあるセクションである。
以前、C3から続いた咳がこのころから、本格的肺水腫の様相帯びてきて、結局途中で降りてきたのである。

前回と比べて、肺の調子も体の調子も格段といいが、そのトラウマを超えるにはその高度以上に行かなければいけない。
緊張混じりの登山ではあるが、先ほどのお茶がいい意味で僕をリラックスさせてくれた。

ルートは以前よりもよりまっすぐに伸びている。
そのせいか、以前は左手20m程に見えていた、
96年に犠牲になったスコット・フィッシャーさんの遺体の真上を通るルートとなっている。

今年はすでに6人がこの山で犠牲になっている。
死因はほとんど高山による衰退か高山病である。
8000mを超えるデスゾーンの中では少しの油断、計算ミスが死を招く。

そのため、これまでの登山の経過を見ながら、酸素の使用の再計算をC4で行った。
シェルパには負担がかかるだろうが、多少の予備をC5にあげてもらうように頼んだ。

しかし、遺体を目の前にすると、それすらも十分であるかどうか不安になる。
このころから天気が崩れてきた。雲が入り始め、風が吹き始める。
つむじ風が雲を巻き込み小さな竜巻をいたるところで発生し始める。
先ほどまで姿を見せていたエベレストも隠者が白いマントで姿を包むように消えてしまった。

しばらくすると風と吹雪が視界を奪い、ほんの数メートルも見えなくなった。
雪もつもり、まるでアリ地獄のように柔らかい雪が足元を不安定にする。

以前テントを張ったC5は今回張る予定のバルコニーよりも100m程標高が低いのだが、
旧C5を通り過ぎる時も心の中で「やっとここか」と懐かしさよりも、やっとここを通り過ぎるという時間の長さだけを感じた。
朝のお茶会の効果も、先ほどみた遺体と吹雪によって薄れかけたころやっとC5についた。

C5の手前では疲労困憊したグループが、僕達が尾根まで上がるのを待っている。
彼らは今日登頂して降りるようだ。

今回のC5は通称バルコニーと言って、エベレストの尾根に出た部分にある。
現在はそれほどここのバルコニーにキャンプを張る人はいないが、
ヒラリーやテンジンが最初にエベレストに登った時、ここを最終キャンプとした由緒田正しいキャンプ地である。
この場所が最近使われなくなった理由は、天気の影響を受けやすく、高所滞在が長引くためだ。

そのため、僕達の行動はアタック前日の天気もアタックと同じくらい重要である。
ウェザーニュースを信頼しないわけではないが、この天気、多少は心配になる。

C5につくと、以前として雲がかかり視界はないが、風はほとんどない!
ここでは日本人のメンバー4人とシェルパ2人が二つのテントで宿泊する。

お父さんをテントの奥、次に僕、その隣に倉岡さん、出口に一番近いところに撮影の平出君を配置する。
それぞれの個人装備を整理して4人ひとテントで生活の準備をする。

お父さんにはあったかいようにダブルマットと平になるようにウェア類を使って下地を整備する。
自分も同じようにアレンジをひと通りする。

全体的に整ったところで、食事の用意だ。

明日は夜中に出発になる。そのため早めに用意をはじめ就寝しなければいけないからだ。
最終キャンプであるC5の献立はC4と同じく手巻き寿司!!!

これならどこに行っても口に入るからだ。
礼文島のウニ、カニみそ、塩辛、さらに山わさびがここにメニューに加わる。
みんな盛り上がり、やんや言いながら各々の手巻き寿司ミックスを考案して食べる。
いつの間にか外の風も弱まっていた。

そこで、C4から無駄を承知で上げてきたお茶セットをまた出す。
再びあの静寂とした雰囲気が作られる。

とても不思議なのだ。テントの外に出たら周りは切り立った尾根。
中国側にも2000~3000m落ち込んで、手前のネパール側にも1000m以上は落ち込んでいる
外には今エベレストを登って生き残ろうとする亡霊のような登山家達がいる中、
僕達のテントの中は静寂に包まれお互いにお茶をたてあっている。

もし、他の登山家がこの中の様子を見たならば、きっと幻と思うだろう。
もっともお茶をたてたり、お茶を飲んでいる合間にも酸素マスクを口に当てている様子も異色であるが、
少なくともお茶がきっと、僕達に必要な「余裕」を作ってくれているのだ。

お茶を飲むと安堵感とみんなの笑みが見える。
もっとも無駄と思えることが、もっとも必要なことになるとは思ってもみなかった。

夕方、日が落ち、やっと周りの風景が見え始める。

世界最高所のお茶たて記録はすでに作った。
あとはお父さんを世界最高齢でエベレストの山頂に立たせるだけだ。