3月30日_思いがけないプレゼント_豪太日記 

On 2013年3月30日 by dolphins

今日は朝から忙しかった。

現在、各国の遠征隊やトレッカーが集中している上に天候が不安定でルクラまでのフライトが非常に混雑しているとのことであった。
そのため、僕たちの隊の荷物は随時運び出されているが、これまで通り一緒に荷物が行動するのが難しいという事が先発の貫田さんと五十嵐さんの話であった。また、フライトに持ち込む荷物も15キロが厳守とされてしまった。

そのため僕たちの個人装備も自分達でナムチェまで活動する15キロの荷物、ディンボチェにいってポカルデ高所順化の荷物、ベースキャンプ直行の荷物、そしてカトマンズにおいていく荷物を今日の午前中までに分けなければいけなくなった。


パッキング風景 
しかもその間に、お父さんは地元の登山記録魔であるホーリー女史の使いであるBilliさんのインタビューとロイター通信の取材を受けなければいけなかった。
てんやわんやで荷物を再パッキングしたうえで取材の対応に追われた。
やっと、荷物の整理がつき、ランチに行こうと考えていると、ヘンリートッドさんが最新の酸素マスクを持ってきた。

ヘンリートッドさんはマウンテンエクスペリエンス社を代表していて、酸素の運搬に精通している。今回の登攀リーダーである倉岡氏や貫田さんと旧知の仲で、今回父が80歳で挑戦するのにぜひ協力したいといって、最新のマスクとレギュレーターを持ってきてくれた。
これまで酸素マスクやレギュレーターはボンベの販売元であるロシアのポイスク社のものを使っていた。しかしこれらはパイロットように作られたものであり大きく視界が妨げられたり、漏れがあった。
最近ではイギリスのサミット社が登山に特化した酸素マスクとレギュレータを開発、非常に使いやすくなった。
さらに、今回、ヘンリートッドさんはマスクの酸素が一時的にたまるリザーバーを改良。3次元モデリングを使いこれまでのリザーバーよりも大きな容量に耐えられるカーボン製のプロトタイプを持ってきてくれた。

酸素は1分間に何リットルという単位でレギュレーターで調整される。以前までは毎分4リッターが最高であったが、最近では6リッターまでの出量が可能になった。しかし、毎分6リッター出たとしても吸いきれないものはこれまでの小さなリザーバーでは対応できなかった。リザーバーを大きくすることによって、出量が多くなっても酸素をリザーバーにためておくことができる。
これはあくまで試作品なのでどうなるかわからないとしたうえで、最近の毎分6リッターにしっかりと対応できる酸素マスクとして期待しているとのことであった。
ヘンリーさんは父にどうしたら手助けができるかと考えたうえでエベレスト登山の要である酸素マスクを改良してくれた。とてもありがたかった。

食事の後、自由時間となった。僕はこれからなかなか毎週書いている日経の原稿を書くことができなくなるので、原稿を終わらせた。
夕食はチベット鍋「ギャゴック」を食べに行った。
ゲストとしてこれまで過去12年の遠征を率いてくれたラクパテンジンさん、そして父とは1970年エベレストスキー遠征以来の友人である石黒久さんをお招きした。
ラクパさんは40年以上エベレストをはじめとした各国の隊のサーダーを務め成功に導いてきた。僕たちも2002年のチョオユーから03年のエベレスト07年のシシャパンマ、08年のエベレストなど数々の遠征サーダーを務めてもらい成功させてくれた。
今回も最初はサーダーを考えていたが、高齢であるという事で若手のペンバ・ギャルツェンというサーダーを推薦してもらった。

とても温和だが、登山になるとチベット人や中国人リエゾン相手に厳しい交渉を行ったり、若手のシェルパをひとにらみで従わせるカリスマ性のあるサーダーだ。
石黒さんはエベレストスキー隊ではルート工作を行い、この遠征後、日本人として3人目、世界で初の秋エベレスト登頂を行い、その後大成建設のアジア支局長を務めていた。

2年前にリタイアし日本で暮らしていたが、昨年その生活にも飽きて、志鷹建設がネパールに力を入れたいという事で、現在志鷹建設の顧問を行いネパールに在住、現場でまだ現役で働いている。
こうしたメンバーだったため話が尽きることなく夜が過ぎていった。